勤務医のページ
勤務医の増加
平成26年10月1日現在の医療施設数が厚生労働省から公表された。病院は平成2年の1万96を最高に長期減少が継続し、8565まで減少した。驚くべきことに、これまで増え続けてきた一般診療所数は、平成25年の10万528から10万461とわずかだが減少した。
医療従事医師数は年々増加し、平成26年12月31日現在29万6845人で、2年前より7995人増えた(図1)。医学部定員増の影響を受け、今後も勤務医数増加は継続が予想される。
日医加入の停滞
一方、日医への加入医師数は平成21年16万5883人から減少に転じ、平成25年に16万5955人と4年振りに微増はしたものの、ほぼ停滞している。中でも危惧しなくてはならないのは、勤務医加入率は勤務医師数の増加と比較して低迷していることである。
更に危惧すべきは、日医加入数16万6578人(平成27年度日医調査)に対し、都道府県医師会加入数18万3321人、更に郡市区医師会等加入数はそれ以上に多いという事実だ。
日医加入率低迷の要因は、勤務医から見た医師会との距離にあり、日医は離れた遠い存在になっている。
勤務医と専門医
勤務医は多忙で、医師会活動への参加は難しくても、学会に出席し、専門医の継続には積極的である。勤務医と日医の距離を縮めるため、勤務医の関心の高い専門医制度への参入は一方策である。今は折よく制度改革の時期に当たっている。義務化される「倫理」「安全」「感染」に関する講習会として、日医生涯教育制度が活用されるようになったことは喜ばしい。
また、総合診療専門医の指導医は1泊2日の研修が必要と聞いている。日医は総合診療専門医指導者の養成に深く関わり、全国展開できる組織力を備えている利点を発揮すべきだ。
勤務医の味方
日医で話題になる診療報酬点数や日本医師会医師賠償責任保険に、勤務医の興味は向かない。
診療報酬については、診療所と病院が対立軸で論じられることもあるが、これを払拭(ふっしょく)しないと勤務医には興ざめである。
診療報酬やレセプトに関して、勤務医は査定内容に関心が向かう。"査定される"ということは医療哲学上否定に等しい行為と勘違いするからだ。医師による査定は、保険者から診療報酬を守ることだと医師会から伝え、勤務医の誤解を解いたらよい。病院加入の賠償保険があれば個人保険は必要ないと考え、日医医賠責保険の有利さを説かれても実感がない。
それよりも、勤務医が避けたい「当直」「救急」「クレーム」対策に尽力願いたい。病院は一人当直を止め、他診療科の拘束体制を厚くして、医療メディエーターなどサポート体制を敷いて対応している。更に、書類づくりなどの事務仕事に医療事務補助者を配置している。一般に、医療事務作業補助者への診療報酬上の手当がなされたことに日医の貢献があったという認識は薄い。日医は医療事務作業補助者を組織化し、精度管理をして、その貢献度をアピールすべきである。日医の医療安全研修をクレーム対応に効果があるところまで高めて、勤務医の味方である活動の充実を図り、広報すべきである。
医師の権威
勤務医の置かれた過酷な環境は過重労働だけではない。給料を上げれば良いのだろうか。そんなに単純ではないだろう。
将来の夢について、医学生の一人は「大病院のサラリーマン医師になりたい」「神の手になる自信はなく、医師というステータスで十分だ」「給料は程々でも、6時には家に帰れる生活を送りたい」「大学の医局に縛られたくない」「専門医資格が取れる病院に就職したい」と言ってのけた。
畏敬の念と尊敬を持って教授を見て、憧れていた時代とは明らかに違う。彼らの描く理想の医師像はどんなものなのだろう。
一方で、研修医はOSCEで鍛えられ、面接の前には自らを名乗り、あいさつはよくする。彼らが駆使するCBT仕込みの細かい医学知識には、我々はとても及ばない。
患者さんや家族の視線は厳しく、私が子どもの頃の"お医者様"を見る目とは違う。
1999年の医療事故、最近の倫理無視の手術や製薬会社の不祥事だけの影響ではない。それ以前から続くマスコミの批判的な姿勢は維持されている。この状況に、子羊のように優しい医学生は、専門医資格を取得し、大病院に勤務することで保身しようとしている。
しかし、「不確実性の医療」に関わる限り、患者さんの期待どおりの結果になる保証はなく、医師の責任は免れない。本来は医療の不確実性に対し国民と理解を共有し、知識と経験を踏まえた決断と結果責任をとってこそ、医師の使命が果たせる。
その状況を個人でつくることは難しく、医学的業績は医学会を中心に、医師の倫理と自浄作用は医師会が保証して、国民と医療の理解共有が可能になると思う。
こんな時代に安心して医療が行える環境を日医はつくれるか。つくれれば、加入者は増え、組織率は上がり、政府も日医を意識した施策に転換するに違いない。