平成29年(2017年)11月5日(日) / 日医ニュース
世界医師会長就任あいさつ(全文)
横倉 義武 第68代世界医師会長 2017年10月13日、世界医師会シカゴ総会、シカゴ、米国
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偉大なる英知、経験、功績を持つ皆さまの前で、第68代世界医師会長就任のあいさつを申し上げますことは、私の生涯で最も晴れがましくあると同時に、その責任の重大さをひしと感じる時でもあります。
私は、人類の健全な生存のため、そして世界医師会の発展のために、与えられた責務を万難を排して全うすることをまず、皆さまにお誓い申し上げます。
日本医師会の使命
これまで日医からは私を含めて3人の会長が世界医師会長に就任いたしました。日医は、日本の医師を代表する組織として、国民の健康を守るとともに、時には政府や与党と緊密に連携しながら日本の医療が正しい方向に進むための提言をしております。
加盟医師会の中で、私達のように国の医療政策自体に関与し貢献する医師会は少ないと思われます。世界医師会に加盟する多くの医師会からの日医に対する高い評価は幸甚の至りであります。
私の原点
さて、私が昨年10月に開催された世界医師会台北総会におきまして、世界医師会長に立候補いたしましたのは、一つの強い思いによるものです。
それは「日本の国民健康寿命を世界トップレベルにまで押し上げた、わが国の医療システムやノウハウを広く世界に発信していきたい」というものでした。
本日は、この思いについてお話しいたします。
一つは私の原点からくる思いです。
私は、福岡県高田村という村で生まれ育ちました。元は無医村だったこの土地に軍医だった父が小さな診療所を建てたのです。
目を閉じると、父と母の姿が浮かびます。父は、病に苦しむ人がいれば、誰でも快く受け入れました。感染症の啓発にも力を入れ、常に地域住民の健康状態の把握に努める医師でした。母は、治療費の払えない患者のために自らの着物を売って薬代に変えるような人でした。
こうした両親の背中を見て育った私は、「目の前に病んだ人がいれば、わが身を顧みずに尽くす」という医療の精神を日々の生活の中で学んでいきました。
医師は「人を診る」ことが仕事です。そして、誕生から死を迎えるまで寄り添い、より健やかな人生を患者と共につくり上げていくことを使命としています。
地域社会にあって医師として働く父を思い出す時、「医療の原点」がここにあるという気持ちを新たにするのです。
現在に目を転じると、医療を取り巻く状況は、ICT(情報通信技術)、AI(人工知能)等の急速な発達とその利活用により、大きく変化しています。
このような時だからこそ、「ジュネーブ宣言」にある「人類への奉仕に自分の人生を捧げることを厳粛に誓う」という「医療の原点」に立ち戻り、こうした進歩するテクノロジーを安全かつ有効に医療に応用していかなければなりません。
また、世界はスピードの違いこそあれ、高齢社会という大変革期に突入しています。日本は世界に先駆けて、2025年に団塊の世代が75歳となり爆発的な超高齢社会に突入します。それに伴い医療分野における課題も増加していきます。
高齢になっても人生に積極的関与を続けていく健康長寿社会、人命を尊重する社会をつくり出さなくてはいけません。
これは、各国が将来対処すべき大きな課題です。
国民皆保険
日本の健康寿命を世界トップレベルにまで押し上げたわが国の医療システムの背景としては、「国民皆保険」の存在が欠かせません。
世界が経験したことのない高齢社会を「安心」へと導くモデルもまた「国民皆保険」にあると私達は確信しています。
日本は、戦後急速な発展を遂げてきました。
これを成し遂げることができたのは、「安心して働くことができる」ための「国民皆保険」があったからです。
日本の国民皆保険を基盤とする医療システムは、『Lancet(ランセット)』に取り上げられ、世界銀行からも「ユニバーサル・ヘルスカバレッジ(UHC)」の「世界的模範」として高く評価されています。
更に、UHCの達成は、2015年9月25日、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の一つとして掲げられています。
これは、過去50年以上にわたるわが国の国民皆保険の経験に基づく実績を踏まえたものとされており、この分野での日本のリーダーシップが期待されているところです。
今後もこの優れた医療システムを世界に発信することにより、世界中の人々の幸福の実現に貢献していきます。
災害・公害対策
次に、災害・公害対策についてお話しいたします。
日本には、自然災害や大気汚染などと闘ってきた長い歴史があります。高度経済成長期の大気汚染や公害の発生時には、私達医師は、患者の発見、原因の特定などを行ってきました。
2011年に発生した東日本大震災の時には、JMAT(日本医師会災害医療チーム)を組織し、全国から医療関係者およそ1万人を被災地に派遣し、医療支援を行いました。
更に、わが国で開催される2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、専門機関と連携しながら集団災害への対策も講じてきました。
苦難は受け入れることによって、その解決に向けて前進できるものです。
私達は、過去のさまざまな災害事象における経験を力に、そして知恵に変えることで前進してきました。
このような経験を、世界医師会の活動を通じて生かしていきたいと思います。
感染症
次は、感染症についてです。
日本には結核の患者を減少させてきた歴史があります。結核の流行に悩む国に対して、私達の経験を伝えることができます。
日本は新興感染症の対策にも取り組んでいます。
2016年11月には、「第2回世界獣医師会―世界医師会"One Health"に関する国際会議」を福岡で開催しました。
医師と獣医師が"One Health"の理念の下に英知を結集することで、更なる感染症対策が推進されていくことが期待されます。
若手医師ネットワーク未来に向けて 若手医師の育成
時代は刻々と変化しています。
医療を取り巻く問題も、地球規模で次々と姿を変え、複雑に変化しております。
これらの課題に真摯(しんし)に取り組んでいくためには、若手医師の育成が不可欠です。
国、宗教、民族、人種、ジェンダー、言葉を超えて、目の前に病んだ人がいれば、わが身を顧みずに尽くす医師。
高度な医療のスペシャリストでありながら、そこに生きる人々の人生の向上に深く携われる医師。
そのような時代の要請に応じた若手医師の育成に、最大限の力を注いでいきます。
世界医師会の使命
世界は今、グローバル化の進展により、医療を取り巻く問題も、国境を越えて大きく立ちはだかり、その解決手段として世界医師会が果たす役割は日に日に大きくなってきています。
世界医師会は、こうした困難を乗り越えて、広範囲な課題に取り組んでいかなければなりません。
そのためには、世界中の医療関係者が緊密な連携を保つことがますます重要になると考えます。
今後は、世界医師会長として、さまざまな国、地域の医療課題について、より真摯(しんし)に耳を傾け、解決に向けた世界医師会の取り組みを加速させていきます。
終わりに
最後に、私の考える医療のあるべき姿についてお話しいたします。
それは、1960年代にシカゴ大学経済学部で教鞭(きょうべん)をとっておられた日本の経済学者である故宇沢弘文先生の言葉の中にありました。
宇沢先生は、全ての人々が豊かな生活を営み、魅力ある社会を維持するための社会的装置を「社会的共通資本」と呼びました。
自然環境や道路・水道・電気・教育などと同様に、医療をその一つと位置づけたのです。
宇沢先生は、講演で次のように述べられました。
『社会的共通資本としての医療と言う時、(中略)社会を構成する全ての人々が、老若男女を問わず、また、それぞれの置かれている経済的、社会的条件にかかわらず、その時社会が提供できる最高の医療を受けることができるような制度的、社会的、財政的条件が用意されている』(「社会的共通資本としての医療」平成21年度日医医療政策シンポジウム特別講演)。
そして、社会的共通資本としての医療の成立後は、それを維持していくためのルールが必要です。それは私達医師にとっては厳しくも、それ以上にやりがい(栄誉)のあるルールかも知れません。
宇沢先生の言葉です。
『教育も医療も、それぞれの職業的専門家が職業的なdiscipline(規範)に基づいて、そして社会の全ての人達が幸福になれることを願って、職業的な営為に従事すること』(『人間の経済』宇沢弘文著、新潮新書)。
医療の本質、言い換えれば、あるべき医療の姿がここに示されているのではないでしょうか。
私は、医療が「世界全体の社会的共通資本」となることを理想に掲げ、世界医師会を前進させて参ります。