勤務医のページ
当事者の思いに共感
私は産業医で、現在は、大学教員として職域の風疹対策に取り組んでいる。個人的な話だが、私は2010年に常位胎盤早期剝離(はくり)で第2子を亡くしている。次の妊娠は初期流産で、その後ようやく第3子を無事に出産することができた。
産休が明けて復帰した2013年。都市部の職域で、成人男性を中心に風疹が流行していた。当時、研究員として通っていた国立国際医療研究センターで風疹の勉強会に参加し、そこで初めて、「風疹をなくそうの会hand in hand」の、先天性風疹症候群の当事者ご家族の話を聞いた。「妊娠前に注射一本受けていれば、わが子が先天性風疹症候群をもって生まれることはなかった」という言葉は、他人事でなかった。
公衆衛生学的には、日本は他国に比べて赤ちゃんの病や死はまれだ。しかし一方で、全ての母親にとって妊娠出産は、一回一回が特別で、命懸けだ。加藤茂孝元国立感染症研究所室長の推計によれば、先天性風疹症候群の赤ちゃん1人の出生につき、風疹流行による人工及び自然流産で、約60人の胎児の命が失われるという。防げるならば、防いだ方が良い。
めざせ! 風疹排除
日本から風疹を排除できれば、風疹による胎児の死や、先天性風疹症候群は防げる。実際に北米・南米全土では、風疹の予防接種を受けそびれた世代に「キャッチアップ接種」を展開し、2015年に風疹排除に成功している。
日本は、40名以上の先天性風疹症候群の出生が確認された2014年、「風しんに関する特定感染症予防指針」で、2020年までに風疹排除という目標を立てた。しかし、その時点ではキャッチアップ接種が実現しなかった。
成人男性に伝わらず
風疹対策のターゲットは、小児期に風疹の定期接種制度がなかった1962~78年度生まれの男性だ。ちょうど私達産業医が日々接している、働き盛り世代に当たる。
私は産業医として、職域の風疹対策を発信し始めた。わが恩師の故・谷口初美産業医科大学名誉教授や溝上哲也国立国際医療研究センター部長にご指導頂き、「職場における風しん対策ガイドライン」(国立感染症研究所)の作成に立ち会う機会も得た。
しかし、職域でできる対策には限界がある。産業医としては、事業者に対して、任意の風疹抗体検査確認や予防接種の費用補助を推奨するにとどまった。これでは余裕のある企業の職員と、大多数の中小企業の職員や非正規職員との健康格差が広まるだけである。
定期接種制度がなければ、日本全体で風疹流行は防げない。私は母校・産業医科大学の就学資金義務年限を終えたのを機に、2016年に公衆衛生学の研究者に転身した。
風疹第5期定期接種
そして2018年。再び風疹が流行した。この風疹流行では、米国疾病管理センター(CDC)が、風疹ワクチン未接種者と妊婦は日本への渡航を禁止する警告レベル2を発令した。当時、ある行政担当者が、「風疹は、オリンピック・パラリンピック対策だ。日本の妊婦のために、定期接種制度化まで動くことはあり得なかった」と漏らした言葉は衝撃だった。
ともかく、2019年から成人男性対象の風疹第5期定期接種制度が開始された。職域の健康診断の採血で、風疹抗体検査を行うことも可能になった。このための「集合契約」の仕組みは、コロナの職域接種にも応用された。定期接種が決まった折には、産婦人科医や小児科医、国立感染症研究所が主催する風疹の日(2月4日で「ふうしん」)の啓発活動に参加した。東京のオフィス街を行き交うスーツ姿の男性にチラシを配りながら、産業医がもっと風疹の啓発をせねば、と実感した。
あと一歩
ようやく始まった第5期定期接種だが、残念ながら制度の利用は低迷している。国は2022年4月から3年間、期間を延長した。
私は2019年から毎年、日本産業衛生学会で、「風疹をなくそうの会hand in hand」の当事者家族を招いて講演会を主催している。他の演者は、産婦人科医、感染症専門医、感染症研究者、健診医、産業医、産業看護職、経営者などさまざまだ。当事者の声を聴いて、私達が本気を出せば、あと一歩で風疹排除が達成できると信じている。
日本産業衛生学会では、風疹をなくそうの会が無料でブース出展ができるように、2019年の大会長・斉藤政彦日本産業衛生学会理事が特例で取り計らって下さった。以後、毎回の大会長にご高配頂いている。風疹ブースでは、通りかかる男性達に、「風疹ワクチン受けた? 抗体検査の無料クーポン券を使ってね! かかりつけ医でも、健診でも使えるよ! 会社の人にも広めてね!」という風疹をなくそうの会メンバーの声が響く。
今度こそ二度と、風疹を流行させてはならない。本年9月の日本産業衛生学会産業医産業看護全国協議会(甲府市)でも感染症シンポジウムに登壇する機会を得た。皆様それぞれの立場から、あと一歩、風疹の第5期定期接種の普及に、どうぞお力添え願いたい。