勤務医のページ
1.女性医学生と駆け出しの勤務医時代
私が医学生になったのは1977年で、同期100名のうち女性は10名と極端に少なく、大学で接する教員も男性がほとんどで、身近に女性医師のロールモデルはいなかった。卒業後も診療科によっては、「当科はこれまで女性医師を受け入れたことがないから」というよく分からない理由で女性医師の入局はお断り、というところが複数あった。
幸い皮膚科に入局できたものの、当時は性別役割分業の考えが当たり前の世の中で、子どもができたら女性医師は大した戦力にならないだろうとの予想から、「女性は男性の3倍働いてやっと同等と認められるのだから頑張りなさい」「慶弔慶事は慎んで研修に専念しなさい」等の、今ならパワハラ・マタハラ認定されるような指導を受けていた。
一方、私の方も「そんなものか」と受け止め、「将来、子どもができたら仕事をセーブすることになるかも知れないから仕事を覚えるなら今のうち」と考え、人一倍真面目に研修していた。今になってみると、最初に頑張って仕事を覚えたのは、その後のキャリアにプラスに働いたので、案外、どんな指導が将来の役に立つかは分からないものである。
2.二輪草センターの立ち上げ
女性医師を取り巻く既述のような状態から、医師になって以来、医学領域において女性のモチベーションを上げて、実力を発揮し活躍できるような環境を整える必要性を感じていた。ただ、私自身に子どもがいないこともあって、仕事と家庭の両立にそれほど困難を感じたことは無く、この問題の解決に積極的な働き掛けはしてこなかった。
しかし、2007年、石川睦男病院長(当時)から、皮膚科の准教授をしていた私が学内の臨床系医師の最年長であったことから(?)お声掛け頂き、文部科学省の競争的資金、「地域医療等社会的ニーズに対応した質の高い医療人養成推進プログラム」(医療人GP)に応募するためのワーキンググループのメンバーになったことで意識が変わった。
応募の結果、国から6300万円の事業費の支給を受け、復職・子育て・介護支援のための「二輪草センター」を立ち上げた。始めは副センター長として、後にセンター長として、本学の男女共同参画の推進を担当した。
3.二輪草センターの活動
二輪草センターの活動は、やってみると達成感があって面白く、院内病児保育室の新設、ワークライフバランス授業やキッズスクールの開講、バックアップナース制度や二輪草枠医員制度の実施等、全国初となるような企画をいくつも考えて実施した。
看護部長を始めとする看護部、看護学科の教員の方々、そして二輪草センターのスタッフに恵まれて、北海道や旭川市から模範的な取り組みとして表彰され、高橋はるみ北海道知事(当時)にも視察に訪れて頂いた。
また、キッズスクールに参加した小学生から、「また来年も参加したい」と言われたり、ワークライフバランス授業に参加した女子学生から、「初めて自分の将来を真剣に考えるきっかけとなりました」と感謝されたりすることもあった。
ワークライフバランス授業は医学部の3年生を対象として、10年間継続して行っている。菅野恭子二輪草センター助教授が授業中に実施した学生へのアンケート調査を解析したところ、過去10年で男子学生の意識が変わり、育児に参加したいとする割合が増えてきていることが明らかとなった。今後、育児は両親が平等に担当する時代に変わっていくことが期待される。
4.二輪草センターの活動から私が得たもの
二輪草センターにおける、誰もやったことのないオリジナル企画を考えて実行し、何らかの成果を挙げるという活動は、プロモータータイプの私の性分に合っていた。後輩の女性医師が育児と仕事の両立に悩んでおり、それをいくらかでも助けることができたのもうれしい出来事だった。
そして、私には子どもがいないので、どんなに子育て支援活動を推進しても、直接恩恵を受ける当事者ではないということから、「別に自分のためじゃないですから」というわけで、誰にも遠慮することなく活動することができた。
私が女性であることから、子育てとの両立に苦しむ女性医療人に対しては、恐らく男性医師よりも共感を持つことが容易であったという強みもあった。まさに、二輪草センターは私の強みを生かすことができる絶好の場であった。人は個人個人のさまざまな特性を生かす仕事を与えられた時に、一番良い仕事ができると思う。その意味でまさに適材適所だった。
これらの活動を評価頂き、2018年には北祐会神経内科病院の濱田啓子先生(故人)に推薦して頂き、日本女医会の「吉岡彌生賞」を頂いた。
今後は、谷野美智恵病理部教授がセンター長を務める。二輪草センターの取り組みと働き方改革により、医師が人間らしい生活を取り戻し、誇りある仕事を全うできる社会になることを期待している。