労働安全衛生法が平成8年10月1日に改正された.
現在の労働界の現況は,パート労働まで含めると約6,500万人と推計される.労働者の60%,約3,900万人は年に1回の健康診断ですら受診しているかどうか,とうい状況にある.これに,若年人口・実質労働生産人口の絶対的減少ならびに老齢人口の絶対的増加という,国としての活力が低下しかねない現実がすぐそこまで迫ってきている.国を挙げての取り組みの具体的方策としての法改正がされた.
勤務医会員は,日頃の診療を通じて“こんなになるまでなぜ放置していたのか.定期検診を受けていさえすれば”という思いをすることが多々あるかと思う.
1つには,今回の法改正では,産業医の選任義務のない事業場の労働者の健康管理が努力義務化された.その1つの方法として,全国に“地域産業保健センター”を設置するので(現行では各労働基準監督署単位1つ.平成9年度までに347センターの設置完了予定),事業者はそのセンターを活用する旨が明記された.
“地域産業保健センター”とは,(1)健康相談窓口の設置,(2)個別訪問による産業保健指導,(3)産業保健情報の提供,(4)産業保健に関する広報・啓発などを行うサービスセンターである.
もう1つは,健康診断をせっかく受診していても,本人へのフィードバックが不十分であることが多いということである.
そのため,今回の法改正には事業者責任として,(1)健康診断結果を本人に通知すること,(2)その結果についての意見を医師から“聴く”こと,(3)その意見を勘案して就業条件等に配慮すること,(4)労働者には保健指導を受けさせて健康習慣の確立に努力させることなどが明文化された.
勤務医会員も含めた医師会員の関心が治療に重点を置くというのでは,国としてのバランスが取れない時代になってきている.われわれ医師会員は,厚生並びに文部の行政分野には精通しており,地域保健・学校保健には積極的に取り組んできているが,労働行政分野の産業保健への取り組みは,十分とはいえない.
国民一人ひとりの生涯を通じた福祉という観点からかもぜひ,産業保健への関心も高めてもらいたい.
また,今回の法改正の主眼である“質の高い産業保健サービス”を目指すという観点から,産業保健サービスのキーパーソンである産業医の専門性向上も新たに定義された.
従来,医師の資格があれば誰でも産業医になることができた.この点で日医は先行して,平成2年度より日本医師会認定産業医制度を発足させていた.産業保健全般をバランスよくカバーする50単位の講義・実習を研修することで,初めて産業医としての認定を与え,その資格を維持するには5年間にバランスよく20単位を履修しなければ資格更新を認めない,という制度である.医師会関係者の尽力により,平成8年10月時点で約29,000名の日医認定産業医が誕生している.この医師会の努力を組み入れて,労働安全衛生法が改正された.“産業医”として法的に認められる資格として定義されたのは,(1)日本医師会認定産業医,(2)産業医科大学基本講座修了者,(3)労働衛生コンサルタント(保健衛生区分),(4)大学にて労働衛生科目を担当したことのある常勤講師以上の経験者,(5)その他労働大臣の定める者に限定された.そして,その“産業医”の専門性にふさわしいように権限の強化もなされた.法的に,産業医には勧告する権限が与えられ,事業者はその勧告を尊重しなければならず,産業医に対して決して不利益な取り扱いをしてはならない,と明文化されている.
前述した“地域産業保健センター”事業の運営問題や,日医認定産業医研修事業の実施問題などの各地域持性に応じた諸問題が存在する.地域保健としての産業保健への取り組みが重要性を増してきている.専属産業医の先生方や大学で労働衛生を担当している先生方が勤務医会員のなかに多数いる.産業保健を専門とするそのような先生方には,医師会が中心的役割を担い始めた,産業保健活動に積極的に関わってもらい,先生方の知恵を貸していただけることを期待する.
健全な日本を支えるためにも,労働生産年齢期をいかに過ごしていくかは非常に大きな課題となっている.今回の労働安全衛生法の改正は,そういう観点からの社会基盤確立を目指したものであり,医師会の従来からの努力と今後の協力を前提としたものになっている.病人になってしまってから関わるだけでなく,病人になる前から関わることを,医療人に対して世の中は期待している.6,500万人の労働者の健康保持のため,勤務医会員の先生方が産業保健にぜひとも前向きに関わってもらうことを強く期待する.
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