平成9年度,日医が主催した社会保険指導者講習会「介護保険と高齢者医療」のなかで,介護保険における医師の役割について,次のように述べている.
「医師は,介護保険給付対象者全員を医学的に管理し,ケアの方法を指示,指導などを行わなければならないが,そのほかにも要介護認定において2つの大きな役割がある.1つは,主治医の意見書のなかで予後などについての見解を述べ,二次判定が的確に行われるようにすることであり,もう1つは,要介護認定審査会の委員として活躍することである」.
勤務医も医師として,このような観点から関与しなければならないことは当然であるが,所属する病院の種類(大学病院,単科の専門病院,公的大病院,へき地等の国保病院等)によっても異なり,また,専門の科によっても関与の仕方は異なる.
介護保険制度は,平成12年4月から開始される.また,介護認定にかかわる作業は,平成11年10月より開始される.これに先立って,平成10年にモデル事業が全国の市町村で行われた.当然,主治医の意見書も提出が求められた.日医は,記入のための手引きを作成して,全国の会員に配布した.しかし,介護認定審査会の審査員にとって評判は必ずしも良いものではなかった.
それは,地方の勤務医が大学からのローテーションであったりして医師会に加入しておらず,日医や都道府県医師会からの情報が届かなかったため,介護保険における主治医の意見書の重要性や記入方法がまったく伝わっていなかったことにも原因があった.
これから高齢者の全人口に占める割合が,4分の1あるいは3分の1になる時代がもうすぐ到来するといわれている.それに伴い,従来の感染症を中心とした疾病構造も変化を来している.健康寿命の重要性が指摘されるたびに,従来の医療が否定されるかの風潮が巷間伝わっている.
「肺炎は治ったが寝たきりになってしまった」「延命しても苦痛しか残されていないのに,延命しか考えない医療は人間の尊厳を無視している」,揚げ句の果て,「スパゲティ症候群」なる言葉まで出現した.「過剰医療」とも「救命(延命)至上主義」ともいわれている.
しかし,相手が誰であっても,息があるかぎり命を助けようとした行為は,今でも非難されるべき行為ではない.患者に規則正しい生活の重要性を説きながら,昼となく夜となく病院で疾患と対峙し,みずからの生活を犠牲にして戦ってきた行為は,勤務医にとって社会から要求された行為でもあった.
一方,ある程度まで回復し,退院していった患者が,自宅で十分な療養が得られず,悪化して戻ってきたり,リハビリテーションも受けられず措置制度に委ねられている例があることも認識していた.今後は,勤務医も退院した後の生活面まで視野を広げることが要求される.しかし,多くの勤務医にとって,実際に行動に移すには障害が横たわっている.病院には,術後の患者さんもいる.入院患者の病状急変に対する備えも必要となる.自分の家で療養している患者さんの急な病状変化に,往診で対応できる勤務医は少ない.高齢者時代,介護保険の時代を迎えるに当たって,情報を共有できる,いっそう緊密な関係の病診連携,病病連携の構築が必要になる.
介護保険時代の勤務医の役目は,主治医の意見書記入や介護認定審査会への参加,介護支援計画策定への関与ばかりではない.実際に医師として,絶対かかわらなければならないことに,死亡確認がある.
高齢化時代とは,看取りの時代でもある.年間100万人が死亡する時代が到来するといわれている.施設のみで対応できる数ではない.人生の最後を自分が生きてきた証である自分の家で過ごしたい.このような願いを打ち明けられたとき,勤務医はどう対応するのだろうか.病診連携で診療所の先生に任せておいていいというものでもない.疼痛を緩和するだけでは不十分であろう.
勤務医も在宅ターミナルケアに対して,問題点を洗い直し,解決方法を探さなければならない時代が来ている.介護保険法の狙いは,介護を受ける人が,方法を選択できることにある.家族だけで介護を行うのではなくて,地域社会全体で介護することが求められている.もっとも重要な視点は,介護はプロが行うものであり,介護を受けなければならない人の根底には,医療が必要であるということである.ゆえに,勤務医としても積極的参加が望まれる.
日医では,本年10月から始まる要介護認定に先立ち,本施行用の主治医意見書の内容に沿って,記入マニュアルを,日医雑誌(6月15日号)の付録として全会員に配付した.
前回の「モデル事業」用のマニュアルとは異なり,高齢者の状態像および要介護度別に26種類の記入例を盛り込み,総頁数は約80頁に及ぶ.記入マニュアルの部分は,日医と厚生省の共同作業により作成され,現場での混乱を避けるよう配慮されている.
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