今年二月二十八日に高知赤十字病院で法に則った脳死体からの臓器摘出が行われた.実に法施行後一年四カ月が経った.
それから五カ月が経ち,三例の脳死下臓器移植が行われたが,提供者はいずれも高知の症例があった後,臓器提供意思表示カードに記載したと聞く.一例出れば,次々と出てくることを考えると,高知の症例は一つの堰を切ったと評価できる.
しかし,さまざまな問題点も明らかになってきた.
一つは医療不信の根深さだ.救命治療はなされたのか,ということがいつまでも取り上げられ,今なお議論する週刊誌がある.こんなにも医療不信が強いのかと驚かされる.
さらに,和田移植とも関連づけられたが,その当時と今では状況が全然違っている.今は,検査値などはすべてコンピューターに登録されたり,隠せるデータなどほとんどないのに,情報を隠していると思われるのは,昨今の医療事故が原因なのではないか.
点滴のなかに消毒剤を入れたり,患者を間違えて手術したりと耳を疑いたくなるような事故が頻繁に起こっている.そういう事故と同列で論じられているのではないかと思うと情けない.
臓器移植を行うためには,提供病院となる救急病院の存在が不可欠である.しかし,救急病院には提供施設としての多大な負担がある.
脳死判定の前提条件
(1)器質脳障害により深昏睡および無呼吸を来している症例
(2)原疾患が確実に診断されており,それに対し,現在行いうるすべての適切な治療をもってしても,回復の可能性がまったくないと判断される症例
と書かれている.このあいまいな表現が提供施設に重くのしかかっている.
現在行いうるすべての適切な治療とは,高知の例でも手術の是非が週刊誌などでは問題にされている.しかし,これはその施設で手術適応なしと決めたらなしであって,その施設でいつものように治療を行うべきである.普通は手術しないのに,臓器摘出意思表示カードを持っているので,手術をしないと後から何をいわれるかわからないから手術をする,こういう考えこそ問題である.
カードを持っていようといまいと,その施設で通常行っている治療を行うことが大事で,それが日本のスタンダードからかけ離れていなければ,自分たちの治療方針に確固たる信念をもって批判に対峙しなければならない.
脳死下臓器移植が定着するまでは,第三者機関による検証(マスコミではない)をリアルタイムで行っていただけると,提供施設はありがたいが,それまでは,提供施設はこの信念が必要となってくる.
このことは,まったく問題がない.つまり,救急医は移植を念頭に救急医療をしているわけではなく,救命に全力を注いでいる.その甲斐もなく,場合によっては死に至ったり,脳死あるいは植物状態に至ることもあろう.移植医療は,脳死に至りそうになって初めて考えればいい問題だからである.このあたりが一般市民に理解してもらわなければならない点である.
プライバシーの保護では,患者が特定されないことが必要.高知の例では特定される報道があったため,出せる情報も出せなくなってしまった.
また,報道陣が約二百名ほど一病院に集まってくるという異常事態が起こった.慶應義塾大学病院では普段から報道陣の対応には慣れていたので,それほどの混乱にならなかったと聞くが,それは病院が慣れていたこと以外に報道陣が慣れていたことも混乱を少なくできた原因の一つと考える.
報道陣が病院の日常診療を妨害するような事態は,移植医療以外にも考えられ,病院の危機管理に対する認識を再検討しなければならないことを如実に示した.しかし,いまだにほとんどの病院で,これは他人事といった感じで受け止められてはいまいか.
脳死下臓器移植が行われて,臓器提供意思表示カードを持つ人が増えた.しかし,本当に理解をして持っているのか.ある調査によると,脳死と植物状態の違いが理解できないままにカードを持っている人が多いという結果が出た.移植に関する法律の第三条には,国および地方公共団体の責務が書かれている.
「国及び地方公共団体は,移植医療について国民の理解を深めるために必要な措置を講ずるよう努めなければならない」
今回の事例で移植医療が広まったが,理解が深まったとはいい切れず,それは国および地方公共団体がしなければならないことなのである.
この機会にマスコミを引き入れて,移植に対する理解を深めるよう策を講じればよいのではないか.一般人に対する啓発などは,それこそマスコミが絶大なる威力を発揮すると考える.
脳死下臓器移植に賛成するか反対するのか,自分で決められるような情報を与えられるのはマスコミである.理解を深めることを目的に,マスコミに活躍を要請すればよいと考える.
脳死下臓器移植は,提供病院に負担をかけてはいるが,医療不信の現在,信頼を取り戻すいい機会とも考えてはどうか.
また,医師,あるいは病院の危機管理能力も問われているような気がする.これは,日常診療とかけ離れているわけではなく,普段から自分の医療に確固たる信念を持ち,かつ客観的なデータの裏付けが必要であり,それらに耐えうるのが医療であることを再確認させられた.
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