日医ニュース 第955号(平成13年6月20日)
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近年の医療を取り巻く環境の変化は,医師をはじめとする医療関係者にとっては厳しさを増していると受け止められている.一方で,現実には大きな恩恵を受けながら,他方,年々増加する医療費を厄介者扱いにして,医療費の削減を大義名分とした医療福祉の切り捨てが議論されていること自体に,耐えがたい怒りを覚える.
確かに日本の医療は,医療従事者の大きな努力と犠牲のうえに成り立っているという側面があり,このような環境の変化に大きな不満を持っているのも事実であろう.しかしながら,医療に関わる多くの問題の解決を「他人任せ」にしておきながら,このままでは日本の医療が崩壊してしまう,何とかしてほしいと思っているというのが多くの医療従事者の本音ではないだろうか.
現在,多くの国民が政治に無関心だといわれる.何も変わらないと嘆いているばかりでは,本当に何も変えられない.今こそ医療を取り巻く問題の解決に向けて,すべての医師が本音で議論し,本気で考えなければならない.
今,日本で何が起きているのか |
長期間にわたる構造的な不況は,日本経済を,あるいは日本という国家そのものの根底をゆるがす大問題と捉えられている.確かに数百兆円の借金を抱える日本の財政は健全とはいいがたいし,増税をしないで財政改革を行おうとすれば,聖域のない支出の削減を目指さなければならない.小さな政府を理想に掲げ,思い切った規制緩和を行い,市場原理に基づく競争の結果として,経済が活性化すれば息を吹きかえすと考えるのは当然であろう.痛みを伴う改革という言葉自体は,心地よく聞こえるかも知れない.
一方で,千数百兆円になるという国民の貯蓄は,老後の生活に不安を覚えていることを示しており,少子化は,乱暴ないい方をすれば,子どもを産み育てることに対する不安の表れである.このような国民の意識とは裏腹に,経済回復を第一に考える人たちの間で,医療をはじめとする社会保障はセーフティー・ネットで良いのだという議論がなされている.横文字にすると聞こえはいいが,最低限の保障だけを政府の関与で保障するが,それ以外は経済・市場に任せて,富める者は大きな利益を得て当然であるとする考え方を医療にまで導入しようとする動きである.
英国の構造改革 |
セーフティー・ネット,あるいはシビル・ミニマムという考え方は,英国の経済がサッチャー政権のもとに奇跡的な回復を成し遂げたことを例にあげ,これを日本でも断行すべきという議論である.
しかしながら,英国においては,結果として貧富の格差を増大し,治療の機会に恵まれない多くの国民を作ってしまったのだ.家庭医制度の導入や,人頭割による総予算制の医療費抑制策は,今や反省の材料として労働党の政府によって見直しが図られているのが現状である.
米国における患者の権利法 |
米国の例はさらに深刻である.ヒラリー・クリントンの皆保険政策は失敗に終わり,HMOやDRGなど,一時は医療の問題を解決する切り札とされたさまざまなシステムは,今やいきすぎた管理医療の終末期という形を迎えている.
一例を挙げれば,米国における「患者の権利法」は,政府の承認を受けて売られる健康保険の保険者は,経済的な理由で患者が受けられるべき医療の提供を妨げてはならない―というものである.その背景には,保険者機能があまりに大きくなり,医師が必要であると判断した治療法についても口を出すようになった.すなわち,「お金のかかる治療法については,(保険者が損をするから)その存在さえ患者に説明してはならない」といってのけたのである.
勤務医にとっての政治をどう考えるか |
医師である以上,国民の健康や安心に対する責任を持っていることに疑いはない.経済や財政に立脚した政策に反対し,真に国民のための医療を守ることはわれわれの使命である.このことを主張するために,場合によっては政治の場での議論に持ち込まなければならない.医療費を抑制するために受診の機会を制限し,保険診療の適応範囲を狭め,自己負担率を安易に上げ,また,医師の裁量を認めないという政策は,現場を知る私たちにとって受け入れがたいことはいうまでもない.患者・国民の声を代弁し,医療を守らなければならない.
あらゆる業界が,それぞれの立場からさまざまな主張をするために政治活動を行っているのは周知の事実であるのに,日医に限って,その政治活動を権益擁護,利益誘導で怪しからんというのは,日医の主張が正当であり,かつ国民の声を代表するものであると認めることが怖いからである.医療を担う責任集団として,医療と政治の関係をきちんと認識したうえで,他人任せにせず主張をすることが求められている.
良質の診療を一人ひとりの患者に提供することは当然であり,これができさえすればよいという消極的な態度では,気が付いたときには,医療が魅力ややりがいのある仕事でなくなってしまう.それは単に自分のためではなく,患者や将来の世代に対する責任であることをしっかりと意識して,臆せずに取り組まなければならない.