日医ニュース 第973号(平成14年3月20日)
勤務医のひろば |
動けば雷電の如く,発すれば風雨の如し
下関市吉田「東行庵」清水山上にある,高杉晋作顕彰碑に刻まれた,伊藤博文(俊輔)の撰文である.
元治元年(一八六四年)師走,高杉晋作は功山寺に挙兵した.下級武士や百姓,猟師,町民などからなる諸隊を率いて長州藩俗論党政府と対決すべく,死を覚悟し決起した.
数年前に,蒸気船千歳丸に乗船して上海を訪れた晋作の目に写ったものは,欧米列強の支配にあえぐ衰微した清朝の現状であり,そこに近未来の日本の姿を憂慮した.
幕末の世に,世界を認識しようとし,そして,世界のなかで自立しようと必死に戦った晋作の気概に,今の世にも通じる広い見識を思う.
これからの病院が,激動の時代のなかで生き延びていくのに必要なものは,世界視野に立った医療の質の確保と,それを維持できる能力であろう.そのために,われわれ勤務医に何ができるであろうか?
日常の激務をこなしながら,三割近くの勤務医が,過重労働や経済的不安,自分の将来像が見えてこないことへの不安,さらに研究時間不足,医療設備の不備などを理由に現在の職場に不満を訴えているという.
勤務医にとっては,しっかりとした経済的な基盤のうえで,自分の医療に対する信念に基づき,専門性を十分生かせる医療が,優秀なスタッフとともに実践できることが望ましく,さらに自分の信念が病院の経営者の理念と矛盾しないことが理想であろう.
そこに働く勤務医が,限られた時間のなかであっても,広い見識で社会との関わりを持ち,地域におけるそれぞれの役割を果たし,かつ自らの資質向上のために毎日研鑽努力することが,自分が働く病院ばかりでなく,地域全体の医療の質の向上に結びつくといえよう.
(山口県医師会勤務医担当理事 三浦 修)