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第1007号(平成15年8月20日) |
卒後臨床研修必修化のゆくえ
平成十六年度より,卒後臨床研修が必修化される.米国に遅れること二十年ともいわれる臨床医育成システムの改革をひとまず歓迎したい.
厚生労働省は,今回の改革により,医局制度の弊害除去,人事の流動化,医療の質確保,医師の都市偏在化解消を企図している.しかし,その前途には難問が山積みである.大学病院でストレート研修を受け,臨床病院で卒後臨床研修責任者となった筆者の目から,私見を述べたい.
必修化財源は国が支出するべき!
現時点で問題なのは,研修医手当に対する予算措置の目途がまったく立っていないことである.特に深刻なのは,国庫からの補助金明示のないまま,研修医給与・採用人員を明記した研修プログラムを国に提出しなければならないことである.
筆者が受けた大学のストレート研修では,手当は毎月二・五万円のみであった.一方,現病院の研修医は毎月二十五万円以上の給与が支給され,社会保障も担保されている.しかし,国からの補助金は,研修医一人あたり年間わずか九十万円ほどである.ほとんどの研修病院は,大赤字覚悟のうえで,研修医を受け入れているのである.
国は月額三十万円確保したいとしているが,その保証はどこにもない.むしろ漏れ聞こえてくるのは,国の財政難と財源縮小化の声である.もしそうなれば,大学・病院側ともに赤字原因となる研修医を受け入れられるはずもなく,研修医は路頭に迷う結果となろう.三十六年ぶりの大改革を軌道に乗せるには,財源確保をきっちり行うことが大前提である.
必修化で医療の質は担保されるか?
必修化で今まで七割であった大学での研修者が,大挙して一般病院へ流出すると予測されている.厚労省の学生アンケートでも,一般病院での研修を約四割の学生が希望している.
さて,一般病院であれば教育が十分に行え,結果として医療の質は担保されるであろうか.答えは否である.
なぜなら現在,大学を含めて教育側の医師のほとんどが各分野の専門医であり,プライマリケア教育の経験が希薄なためである.立派な研修プログラムを作成しても,それを教育する環境・人が整わなければ,教育効果は薄く,医療の質向上には直結しない.
医療の質を担保するには,後進のロールモデルとなり,優秀なプライマリケア指導者を育成することが最重要である.学会・医師会・大学・一般病院が一致協力して,この人材育成システムを構築・完成させなければならない.
必修化で医師の都市偏在は解消されるか?
一方,医師の都市偏在化も,今回の改革での改善は期待薄である.確かに医局人事に依存していた医師確保手段は,人材派遣会社に移行する可能性が高い.しかし,高学歴の医師が,その家族とともにへき地に永住する可能性は高くない.
本来,この問題は,医師の倫理観や使命感に依存して解決すべきでなく,社会体制として,各行政単位で対処していくべき問題であろう.
変わるか?大学と地域病院との関係
今後,大学側と一般病院とで人員獲得競争が展開されるとの意見がある.確かにその可能性は否定しない.
しかし,合目的的に考えてみると,大学の存在意義は,研究と高度先進医療にあり,プライマリやセカンダリケアを受け持つ一般病院とは性格が異なるはずである.
しかるに,今までわが国の医師教育は,卒前・卒後ともに大学に依存し,その結果,大学教員は,臨床・教育・研究の共存を余儀なくされてきた.日進月歩の現代にあって,この三本柱の両立は不可能といえよう.
この教育体制の不備は,大学のみの責任ではない.本来,一般病院でも十分可能な臨床教育をおざなりにしてきた,医療界全体の責任といわざるを得ない.
したがって,これからは,大学は本来の研究・高度先進医療に専心し,一般病院は卒前・卒後の臨床教育に傾注する役割分担を行うべきであろう.大学と地域病院は対立ではなく,共存を目指すべきである.
改革を実りあるものとするために
今回の改革は,まだその緒に就いたばかりである.国民皆保険という比類なき秀逸な制度下で医療の質を維持しつつ,将来の医療の担い手となる優秀な医師を育成することが,われわれ臨床医に課せられた使命である.この改革が実り多き産物を生むよう,大事に育てて行きたいと考えている.
(東京都済生会中央病院臨床研修室長 中川 晋)
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