日医ニュース
日医ニュース目次 第1187号(平成23年2月20日)

勤務医のページ

勤務医の視点からみた感染対策のあり方
─感染対策は,患者の安全確保のための先行投資─
自治医科大学附属病院臨床感染症センター准教授 矢野晴美

 二十一世紀に入り,ヒト,モノ,情報が瞬時に世界を駆け巡る時代となった.そのような時代を反映し,感染対策に求められる視点も大きく変貌を遂げざるを得なくなっている.一九八〇年代のHIVのアウトブレイク,二〇〇一年の炭疽菌によるバイオテロリズム,二〇〇三年のSARS,二〇〇九年のパンデミックインフルエンザH1N1,二〇一〇年のNDM─1という遺伝子を持つメタロベータラクタマーゼ産生の多剤耐性腸内細菌の国際伝播などは,世界規模の感染対策を要求される事例の代表である.また,対策を講じるタイミングも即断即決を要求されてきている.
 国内では,一九九九年の感染症法の施行から,はや十年以上が経過し,感染対策にこの十年余り,懸命に取り組んできた経緯がある.各病院で,感染管理看護師,感染対策チーム(ICT),感染管理医師(ICD)などが配属されてきた.また,外来主体の診療所などでも,特に昨年のパンデミックインフルエンザの際には,待合でのマスク着用,手洗い励行を受診患者に徹底するなど,感染対策は少しずつではあるが進歩してきている.国の制度としても,保険診療において感染対策を重視する傾向は強まり,二〇一〇年四月以降では,入院施設に対して,一定の人員配置基準を満たした場合,感染対策に関し感染管理加算が出来るシステムとなった.
 また,不採算部門とみなされ,外注化が一時進行した細菌検査室は,その院内設置が感染対策上,不可欠であること,診療上ではグラム染色の重要性が少しずつ認識されるようになった.

不十分な現場での対策

 その一方で,実際の現場では,まだまだ感染対策,特に手洗いを基本とする標準予防策が実践されていないことも多く見られる.真摯に患者ケアに取り組んでいるにもかかわらず,人手不足や,教育や経験の不足などから,必要な場面で,的確かつ適切な感染対策が取れない状況も認められる.例えば,患者の部屋に入室する際に,必ず手洗い,または手指消毒することをルーチンに出来ている医療従事者はどのくらいいるだろうか.また,患者ケアが終了した時にも再度手洗い(または手指消毒)出来る医療従事者はどのくらいいるだろうか.手袋をしたままでは,環境表面(ベッド,手すり,PHS電話,コンピュータのキーボードなど)を触ってはいけないことを知っており,実行出来ている人はどのくらいいるだろうか.標準予防策のため,採血時,体液に触れる時,皮膚病変に触れる時,ガーゼ交換をする時などに手洗い・手袋着用は実行出来ているだろうか.
 このように感染対策は,毎日の業務にしっかりと根付く必要があり,頭で覚えた知識ではなく,体が覚え込んだ習慣・実践として身に付いているかどうかが重要である.

米国における感染予防対策

 医療現場では,院内での感染は必ず起こることが予測される.理想としては予防を徹底し,医療関連感染(病院内で発症した感染症)はゼロにしたい.しかしながら,ゼロにすることは現時点ではきわめて難しいので,たとえゼロには出来なくても,限りなく少なくする努力は必要である.
 努力の好例として,米国での状況をご紹介したい.米国では医療費高騰のため,数年前から医療関連感染の一部は保険診療から除外され,病院負担となった.例えば,院内で発症した中心静脈カテーテル関連感染は,その治療費はすべて病院負担である.各病院は,この強力な医療経済学的圧力から,中心静脈カテーテル関連感染が入院中に起こらないための最大限の対策をとるようになった.ニューヨークにある,私が以前勤めていた病院では,過去二年間で,中心静脈カテーテル関連感染は発症数ゼロと,先日お会いした恩師から聞かされた.また,米国東部のジョンズホプキンス大学病院も過去三年間,発症数ゼロと報告されている.

求められる国家の先行投資

 二十一世紀の医療では,より質の高い診療が求められる.質の高い診療には,患者の最大限の利益の尊重,医療安全の確保,実践的な感染対策は必須である.そのため,医療従事者は医学部,看護学部などの学生時代から実践的な感染対策の教育を十分受ける必要がある.また,初期研修医や新人医療従事者になった時,現場でその実践を徹底出来る環境が整っていることが望ましい.教育機関,関連学会,医療現場が一丸となり,感染対策に必要な教育と実践が行えるように動く必要がある.
 アウトブレイクが起こるまで動かないのではなく,起こる前に十分な教育と実践が出来るように,国家としての“先行投資”が必要であることを強調したい.

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