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第1195号(平成23年6月20日) |
東日本大震災から学ぶ
福岡赤十字病院長 寺坂禮治
東日本大震災後三カ月が経過しようとしている.復旧は今なお進行形であるが,この間,医療従事者は災害医療救援に関して貴重な教訓を得た.
まず,発災直後より,相当規模のDMAT,自衛隊が迅速に出動した.しかし,残念ながら大地震と大津波による想像を絶するすさまじい惨状は彼らの活動を阻み,災害超急性期における救命の切り札は,必ずしも適応とはならなかった.代わりに早期から医療救護班の派遣が緊急の要請となった.
DMATの直後に派遣された日赤DMAT,救護班始め,全国のさまざまな病院,医療団体から派遣された多数の医療救護班は,被災地のさまざまな場所に集結し,地域の医療従事者との連携の下に,失われた医療機能を忍耐強く補完し,真価を発揮している.
今回の大災害への救護班の派遣を通して,日本の数多くの病院は病院常備機能の一つとして災害救護を強く意識したと思われる.ただ反省すべきは,発災直後から多数の救護班が被災地域を目指したにもかかわらず,支援の活動拠点が定まるまでに少し時間を要した.未曾有の大災害であったとは言え,発災後数日間の情報は錯綜し混乱を来していた.
医療救護においても発災後,出来る限り早期の活動開始が肝要である.ここしばらく行政はDMAT養成に力を注いだが,この機に国家レベルでの,地方自治体,病院団体などを統合した医療救護班のネットワークを確立すべきではないか.戦争から国を守る防衛省があるならば,もっと現実的な自然災害対策をつかさどる専任省庁が存在し,ネットワークを介して一元化された情報を発信し,その一つの機能として多数の医療救護班の流れを整理して然るべきと考える.
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