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第1241号(平成25年5月20日) |
医学教育の研修会で生じる疑問
北海道大学医学研究科医学教育推進センター 大滝純司
増えた医学教育の研修会
医学教育関係の研修会や講習会が増えている.研修病院や地域医療研修の指導医向けの講習会,教員が参加する医学部の研修会,新任の教員を対象とする説明会など,数え切れないくらい行われている.私が医学部の教員になった頃には,このような機会はほとんどなく,たまにそのような機会があっても狭き門でなかなか参加出来なかった.今では,参加しておかないと指導する資格がないと見なされたりする.医学教育について研修することが,権利から義務になりつつある.
研修会参加者からの質問
私は総合診療部門で研修した後にその教育に関わるようになったことがきっかけで,医学教育関係の研究や管理・運営業務に携わることが多くなり,現在は医学教育を支援する部門で勤務している.縮めて言えば,医学教育の専門家の一人ということになる.
前述した医学教育関係の研修会などに参加した比較的親しい人から,「これが唯一正しい理論や手法なのか」「証拠はあるのか」「教育関係者はみんなこうしているのか」といった質問を受けることがある.お前は医学教育に詳しいのだから,知っているだろうと聞かれるのである.
医学教育と教育学の関係
私も,そうした疑問を抱いたことが少なからずあり,いろいろ調べてみたり,詳しそうな人に相談したりしてきた.私事になるが私の家族や親族には教育関係者が多く,「医学教育」と「教育学」の共通点と相違点については,頻繁に話題になる.また,教育関係の学位を取得している同僚や知人と,この話題で議論したことも何度となくある.それらの(医学教育ではない)教育関係者は一様に,「唯一正しい理論や手法など教わったことがない」と言う.
私のつたない理解では,どうやら教育学の領域では統一的な原理や原則は少なく,むしろ多様で時代と共に変化し,いろいろな人がさまざまなレベルの根拠に基づいてそれぞれの理論や手法を提唱し,それが教育現場や研究活動で検討・批判され,あるものは生き残り,その他は消えていくようである.
医学教育の研修会の課題
医学教育関係の研修会などで紹介される教育学の理論や手法の多くは,「学習目標の記述方法」「指導のマニュアル」「筆記試験の特性や結果の解析」「診療参加型臨床実習のやり方」など,比較的限られた事項について,言わば必要に迫られて断片的にしかも演繹(えんえき)的な文脈で示される傾向がある,という印象を私は持っている.自戒も含めて振り返ると,講師が紹介した理論や手法を,その研修会の中で批判的に吟味し,帰納的検討も合わせて俯瞰(ふかん)的に把握する機会は多いとは言えない.今後の重要な課題だと思う.
学習とはどのようなものか
教員免許を持っている人が身近におられたら,「学習とはどのようなものなのか」を話題にすることをお勧めする.私が聞きかじった範囲では,「学習観」とか「学習理論」と呼ぶようである.ここしばらく主流になっている「社会構成主義」という学習観によれば,取り入れた情報を既に獲得している知識と関連付けて解釈し理解すること,つまり学習者が知識を再構成する過程が学習であり,しかも,その知識の再構成は学習者が個人で行うのではなく,社会的文化的な背景や他人との相互作用などの社会的相互作用を通して行われるのだという.
この学習観は,専門職大学院など専門職を養成する制度の見直しにも関係しているそうで,医学教育で言えば,医学生を診療に参加させる診療参加型臨床実習の理論的背景になっている.何だか分ったような,分からないような話だが,理論や通説をうのみにせずに,疑いつつ,可能な範囲で教育の現場で吟味してみることこそ,教育学を学ぶ醍醐味(だいごみ)なのかも知れないと思い始めている.
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