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第1273号(平成26年9月20日) |
地域医療の過去・現在・未来
佐久市立国保浅間総合病院事業管理者・院長 村島太郎
地域医療の過去
佐久市立国保浅間総合病院は昭和三十四年六月二十二日,内科・外科・小児科・産婦人科・眼科の五科からなる病床数二十床の国保組合立病院として開院した.初代院長の吉澤國雄先生(昭和十六年卒)は東京大学沖中内科(後の第三内科)より派遣された.
昭和三十年代の佐久地域は,脳卒中死亡率が全国で最悪の水準だった.吉澤先生は昭和三十七年に第四代長野県国保直診医師会長に就任され,「地域医療とは住民医療であり,診療と予防活動を二本の柱として活動することである」と言われ,保健補導員の組織育成,自己血圧測定,塩分制限,一部屋暖房運動を広め,長野県の脳卒中死亡率を激減させた.また,今でこそ糖尿病の治療の一つとして定着しているインスリン自己注射を「長野方式」として広めた.
長野県国保直診医師会は長野県国民健康保険団体連合会の支えにより,農村医学より発展した若月俊一先生の佐久総合病院と共に地域医療を担ってきた.
このような先人たちが住民と協力して行ってきた活動の積み重ねが,長野県を長寿県にした.長野県国保直診医師会は,その後も今井澄先生・鎌田實先生へとつながる諏訪中央病院を始めとする組合立病院,各地域の市立・町立病院,地域診療所を中心に,地域に根差した医療を提供している.
地域医療の現在
最近の浅間病院の活動としては,新医師臨床研修制度開始に伴い,平成十六年四月から東京大学より研修医を受け入れ始めた.平成二十年七月からは入院医療費にDPCを導入し,平成二十一年三月に佐久市立国保浅間総合病院改革プランを策定した.
医師会との連携では,平成二十一年十月より「佐久地域休日小児科急病診療センター」が,翌平成二十二年十月からは「佐久地域平日夜間急病センター」が,当院外来で開設され,佐久医師会の先生方のご協力で一次救急診療が行われ,それを当院がバックアップする形となっている.
平成二十二年七月十日には,佐久医師会,佐久総合病院,浅間総合病院の三者で「佐久総合病院再構築に係る医療体制等協定書」が締結され,病院完結型医療から地域完結型医療への動きが促進された.
浅間病院は,平成二十三年三月十一日の東日本大震災では,佐久市とかねてから銀河連邦友好都市であった被災地大船渡市に,三月十四日から二十九日まで,医療支援班四班(延べ二十人)を派遣した.災害時における地域間協力も大切である.
地域医療の未来
佐久市の野沢には,佐久市成田山薬師寺長寿地蔵尊(俗称ぴんころ地蔵)という,全国からご高齢の方々の集まる観光スポットがある(写真).「元気に長生きし(ぴんぴん),寝込まずに楽に大往生(ころり)したい」という願いには,子や孫に苦労や面倒はかけたくないという高齢者の切なる思いが込められている.
私も最近,外来でご高齢の方から,合掌され拝まれるようになってきた.がん,認知症,ロコモティブシンドローム等は長寿社会の必然,宿命である.医療福祉施設・住民・行政が協力し,少子高齢社会の中でいかに機能するコミュニティをつくっていくかが課題である.
キーワードは「欲望のコントロール」である.ジャック・ラカンが「欲望は他者の欲望である」と看破したように,欲望は生理的欲求と異なり,他者から与えられているに過ぎない.モチベーションにするのはよいのだが,過ぎるととらわれることになる.欲望の構造を知ることで,執着心が抑えられる.自身の欲望より,共同体の機能がよくなることを優先する機能主義の人たちが少しずつでも増えていくと住みやすい地域が生まれる.
私の考えは,親,師,先人の教えが積み重なり,体験が加わり生まれたものである.私の考えには他者の思いが含まれている.親,師,先人に対して感謝し,その教え,思いを他者に伝えるのが私の役目であり,その有責感がさまざまな困難な時の支えとなっている.
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