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第1283号(平成27年2月20日) |
Physician-Scientist(研究医)のすすめ
〜日本の臨床研究の信頼回復のために〜
順天堂大学大学院医学研究科免疫病・がん先端治療学講座准教授 大沼 圭
先生のお仕事は臨床医かもしれないし,研究医かもしれませんが,ご自分のお仕事をworkと考えてますか? それともlaborと考えていますか?
日本の医学研究の危機
近年,基礎研究成果を臨床研究・治験へ橋渡しする研究が盛んで,研究医の成果に期待が寄せられている.しかし,基礎研究においてモデル動物で新たな知見が確認されても,ヒトを対象にした臨床試験で一致した結果が得られることは少ない.
当然のことながら,ヒトはマウスとは異なるものであり,一流科学雑誌に掲載された画期的な実験成果が,すぐさま実臨床に適応できるとは限らない.そのような難しさに対する焦りもあってか,毎年のように医学研究不正が発覚する.
それに加えて,近ごろは,臨床志向・専門医志向の医学生が圧倒的多数となり,研究医が不足して日本の医学研究の将来が危ぶまれている.確かに,医学の進歩において,研究医はこれまで中心的な役割を果たしてきた.しかし,基礎医学に進む医師は何年も前からマイノリティーであり,最近はますます,基礎系の大学院に進学する医師が減少している(文部科学省・今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会).
研究職のポストは極めて限られており,更に,基礎研究が実臨床で花開くためには,多くの時間や資金,労力が必要である.つまり,医師にとって,基礎研究と臨床医学の間の「橋渡し」とは,恐ろしい「死の谷」にかかる橋で,不安定な未来の恐怖に怯(おび)えつつ渡る狭く困難な橋を意味している.
研究医のすすめ
日本のアカデミアにおいて指導的立場にある医師の多くが,基礎研究で画期的な成果を上げ,論文量産を最重要課題とする論文生産工場の真面目な労働者として勤めてきた.そのような論文生産工場の真面目な労働者の中には,「優れた研究成果を得るためには臨床の時間は無駄だ」と思っている人もいることであろう.
しかし,患者を診る医師は,常に困難かつ未知の道を行くものであり,その意味において,全ての医師はPhysicianでありScientistである.
筆者の言う研究医とは,ヒトのサンプルから新しい遺伝子をクローニングしたり,ノックアウトマウスの解析だけをしている者を言うのではない.常に患者に寄り添い,新たな診断方法や治療法,予防法を考案して実行しようとして試行錯誤している者のことである.常に患者のことを思い,その苦しみからの解放のために勇猛果敢に挑んでいく者のことを言う.一流科学雑誌に採択されるかどうかは問わない.
治らなかった病気をいつかはきっと治すために歩み続ける,それが研究医魂であり,医師となった者全ての原点であると信じる.市井の臨床医との切磋琢磨(せっさたくま)により,アカデミアは真の橋渡し研究が見えてくるし,研究の実施により,臨床医は実臨床に必須のセンスがますます磨かれていくことであろう.
天職としての医師,労働者としての医師
医学研究不正が発覚すると,研究者は「悪意のない単純な取り違えによるミス」と言い,組織は「結局は研究者個人の研究倫理の問題」と言う.医師の逃げ口上に辟易(へきえき)する.先生が着ている白衣は何のためですか? と問うてみたい.
研究医の中には,特段興味はないが職業上仕方なく研究している医師も結構いる.そこには,論文生産工場の労働者として成果を出さなければ,職業上の安定が得られなかったり,顕著な実用性のある研究でなければ許されないという実態がある.
彼らにとっての医学は単なる労働(labor)でしかなく,医学や患者への情熱はうわべだけで,論文作りが目的のPaper slave(論文奴隷)である.監視の目がなければ何でもできると考えるのがslaveだ.
しかし,真の白衣を身にまとった全ての医師達には,研究医の心と実践力があるはずである.そういう人達にとって,医学は決してうんざりするようなlaborではなく,魅力溢れるworkであり続けるであろうし,壁にぶつかっても逃げない医師であろう.そして何よりも,患者や社会が待ち望む信篤(あつ)き医師であり続けるだろう.
これまでlaborであった臨床業務も,基礎研究の要素を取り入れることにより,実り豊かなworkに変わることと信じる.
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