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第1296号(平成27年9月5日) |
山口県 柳井医師会報 No.576より
「今日」という日
内海 敏雄
私には朝の日常診療開始前の日課がある。パソコンを立ち上げて、過去の医療記録を開き、今日の日付で検索をかける。そうすると過去の「今日」という日の情報が検索されてくる。そして「今日」という日を考える、そんな習慣がついた。
「今日は○○さんの誕生日」「20年前の今日は○△さんの命日」「15年前の今日、□△さんが退院」などの情報が次々と上がってくる。特に気になる経過をたどった患者さんについては、詳細な記録を開いて読み返してみる。
時に心に突き刺さる苦々しい記憶もよみがえってくる。
学会出張から帰った日、「私をほったらかしにしといて、どこ行っとったんじゃ〜!」と目をひんむいて怒鳴った大腸がん末期の90歳お婆ちゃんのこと。難治性肺炎で日々状態が悪化していく奥さんにベッドサイドで付き添っているご主人が「どうして良うならんのじゃ〜」とパイプ椅子を振り回して暴れたこと……。数え上げるとキリがない。
私は昭和61年に医師になり、早28年の歳月が流れた。その間に関わった患者さんについて、自分なりにマメに記録を残してきた。記録のために膨大な時間をとられ、いつも大きな荷物を背負っている気分になっていたが、自分の生き様と未来を考える上で、この記録は貴重な宝物になっている。
勤務医時代は激務と慢性疲労で、ゆっくりと考える余裕もなかった。冷静に別次元から振り返ると、いろんなことが思い浮かぶ。「あの時こうしておけば、もっとうまくいったんじゃないか? 救えたんじゃないか?」と思うことがしばしばある。その思考を次の医療に生かすことが大事だと考えている。
先日の外来でのこと、70代の女性患者さんに「今日はご主人の命日ですね、もう6年経ったんですねぇ」と話し掛けると、「先生! 覚えていて下さったんですね!」と泣き顔になる。「いや〜、さっきパソコンが教えてくれたんだけど……」、言葉ではなく心の中でつぶやくせこい自分がいる。そこから亡きご主人の話題で盛り上がる。こんな風に患者さんとのコミュニケーションに役立つこともある。
さて、今この随筆を書いているのは4月16日。今日という日はどんな日だったんだろうか? パソコンに「.4.16」と打ち込んで検索をかける。過去の「今日」の自分は「アホやな〜」と思う時も、感心して尊敬してしまう時もある。そのどちらも自分なんだな……と改めて考えさせられる。
アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓十五の君へ〜」という歌を口ずさむ、「拝啓〜この手紙〜読んで〜いるあなたは〜どこで〜何をして〜いるのだろう〜」。今日を生きている自分も、将来の自分から「アホやな〜」って言われないように、頑張って生きていこうっと。
(一部省略)
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