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医の倫理の基礎知識 2018年版
【医師の基本的責務】A-4.医の倫理―その考え方の変遷

森岡 恭彦(東京大学名誉教授、日本赤十字社医療センター名誉院長、日本医師会参与)


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 昔前には医の倫理というと西洋ではヒポクラテスが挙げられ、特に入門者に誓わせた「誓いの言葉」が有名で、医学部の学生は卒業式でこれを朗読してきたとされる。この誓いでは患者にはいかなる危害も加えない、患者は身分を問わず扱う、医師の地位を利用して不正を働かない、患者の秘密を守るなど重要な倫理指針が述べられている。この誓いでは触れられていないが、彼は医療のことは専門家である医師に任せることが患者のためであり、任された医師は身を正し愛情をもって患者に尽くすべきであるとした。

 この考えは西欧ではキリスト教の普及と共にその愛の精神が受け入れられ「医療は医師の施す慈善の行為」とされ20世紀半ばに至るまで広く社会で容認されてきた。わが国では儒教の影響で「医は仁術」とされ患者に対する慈しみの心、思いやりが倫理として強調されてきた。

 ところで、20世紀になると医学・医療が進歩し、人々の医療に対する期待感と関心が高まり、また、多くの国で個人主義を基にした民主主義社会が発展し、個人の人権主張も強くなり、これまでの親が子を見る気持ちで行う慈善の医療は親権主義(paternalism)として批判され、医療は医師の行う慈善の行為ではなく、患者の人権の擁護の観点から医師-患者関係が見直されるようになった。

 特に第二次世界大戦時に行われたナチスの非人道的行為が戦後の裁判で非難され、1964年これを受けて世界医師会はヘルシンキでの総会で「ヒトを対象とする生物学的研究(臨床実験)に関する倫理綱領」を採択した。その綱領では人体実験は医学の進歩のために必要とし、実験に当たっては被験者の人権に配慮し、実験の目的、方法、予想される利益や危険性などを十分に説明した後に被験者の自由意志による同意を得る必要があるとした。この考え方はその後インフォームド・コンセント(informed consent;IC)と呼ばれるようになった。

 また、1960年後半になるとアメリカを中心に世界各国で公民権運動が高まり、一般の医療においても患者の自立性、自己決定権の尊重、ICの重要性が主張されるようになった。それと共に法理においてもその妥当性が認められ、医師は診療の場でICの原則を守らないと訴訟で敗訴するということにもなって、この考えは短期間で医師の間にも容認されるようになった。これまでの医師の施す慈善の医療という考えは否定され医の倫理の革命的変化といえる。

 この考えは1980年の後半のころにわが国にも波及し、1990年の日本医師会の生命倫理懇談会はICを「説明と同意」と訳し、その重要性を示す報告書を提出した。また、旧厚生省もその普及に乗り出し1995年の医療法改定ではICは医療担当者の努力義務となり、今日では誰もがICを口にするようになった。特に脳死体からの臓器移植や生殖補助医療、遺伝子治療などの先端的医療、終末期患者の延命治療の中止などもこのICがあれば認めようということになってきた。

 医療におけるICは患者の人権の擁護以外に対話による医師と患者間の信頼関係の確立といった利点があり広く社会で容認されてきたが、ICは意識のない患者や幼小児などでは成立せず、一般の患者でも医学の専門的な説明を完全に理解できるのかといった疑問がある。さらにICは倫理原則で例外もあり、社会的利益が優先されることもある。ともあれ、患者の自己決定権、ICの尊重という倫理原則は今日の医の倫理の本幹をなしているが、すべてではない。特に患者に対する愛の精神とか「医は仁術」といった気持ちも大切であることはいうまでもない。

 さらに医師は社会的制度による制約を受け、限られた労力と資源を患者に如何に公平に提供するのかといった問題にも配慮せざるを得ない。このように現代社会では医の倫理も複雑化しているが①患者の自立性(autonomy)の尊重、②善行(beneficence)、③公正性(fairness)といった原則が重視されているといえよう。

(平成30年8月31日掲載)

目次

【医師の基本的責務】

【医師と患者】

【終末期医療】

【生殖医療】

【遺伝子をめぐる課題】

【医師とその他の医療関係者】

【医師と社会】

【人を対象とする研究】

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