医の倫理の基礎知識 2018年版
【生殖医療】D-5.母体保護法とその問題点
石井 美智子(明治大学法学部教授)
母体保護法は、母性の生命健康を保護することを目的とし、不妊手術と人工妊娠中絶について定める。平成8年に、優生保護法から、優生思想に基づく規定が削除され、名称が改められた。優生保護法は、「不良な子孫の出生を防止する」ことを1つの目的とし、本人、配偶者または4親等内の血族が遺伝性疾患やハンセン病等の場合に、不妊手術と人工妊娠中絶を認めていた。不妊手術は優生手術と呼ばれ、遺伝性疾患等の遺伝を防止するために優生手術が公益上必要であると優生保護審査会が決定したときには、本人の同意なしに不妊手術を強制できるものとしていた。同法に基づいて、1万6,000件以上の強制不妊手術が行われた。平成30年になって、国に対して賠償を求める訴えが相次いでいる。国会でも救済に向けた動きがみられ、自治体による資料開示も進められている。
不妊手術とは、生殖腺を除去することなしに生殖を不能にする手術で、術式は母体保護法施行規則によって定められている。不妊手術の適応は、次の2つに限られている。①妊娠又は分娩が母体の生命に危険を及ぼすおそれのあるもの、②現に数人の子があり、分娩ごとに母体の健康度を著しく低下するおそれのあるもの。それ以外の場合に、理由なく生殖を不能にする手術又はレントゲン照射を行った者は、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられる。昭和40年代には、性転換手術を行った医師が優生保護法違反で有罪となり、40万円の罰金を科された「ブルーボーイ事件」が起きた。けれども、平成15年に成立した性同一性障害の性別の取り扱いの特例に関する法律は生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあることを性別変更の要件としており、性同一性障害治療のための性別適合手術は正当なものと認められる。不妊手術を行うには、本人の同意と配偶者の同意を得なければならない。未成年者に不妊手術を行うことはできない。
人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において生命を保続することのできない時期に、人工的に胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。人工妊娠中絶は、堕胎にあたり、堕胎は刑法上の犯罪である。医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が堕胎させたときは、業務上堕胎罪として、女性の同意がある場合でも3月以上5年以下の懲役に処せられる。母体保護法は、一定の人工妊娠中絶を合法化している。「指定医師」のみが人工妊娠中絶を行うことができる。「指定医師」は各都道府県医師会が指定する。指定基準については、日本医師会がモデルを示している。
人工妊娠中絶の適応は、次の2つである。①妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの、②暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの、99.9%近くの人工妊娠中絶が①の事由で行われている。①は、経済条項ともいわれるが、単に経済的理由で認められるものではない。厚生事務次官通知によれば、「妊娠を継続し、又は分娩することがその者の世帯の生活に重大な経済的支障を及ぼし、その結果母体の健康が著しく害されるおそれのある場合」である。人工妊娠中絶を行う際には、本人と配偶者の同意を得なければならない。配偶者には事実上の配偶者も含まれるが、胎児の父とは限らない。本人が未成年の場合に親権者の同意が必要かどうかについては、定められていない。
人工妊娠中絶は、「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」に限って行うことができる。その時期については、厚生事務次官通知によって、「通常妊娠満22週未満」とされている。当初は妊娠8月未満であったが、未熟児医療の発達により、昭和51年に妊娠満24週未満、平成2年に現行の満22週未満に短縮された。妊娠週数は、最後の生理の初日を0日として数える。妊娠週数の判断は、指定医師が医学的判断に基づいて、客観的に行う。不妊手術または人工妊娠中絶を行った医師は、結果をまとめて翌月10日までに都道府県知事に届け出なければならず、届け出なかった者、虚偽の届出をした者には10万円以下の罰金が科される。けれども、毎年公表されている統計には載らない暗数があるともいわれる。妊娠12週以後の人工妊娠中絶は人工死産として死産届が必要であり、医師は死産証明書を作成しなければならない。不妊手術、人工妊娠中絶施行の事務に従事した者には守秘義務が課され、違反者は6月以下の懲役又は30万円以下の罰金に処せられる。
(平成30年8月31日掲載)
目次
【医師の基本的責務】
【医師と患者】
【終末期医療】
【生殖医療】
【遺伝子をめぐる課題】
【医師とその他の医療関係者】
【医師と社会】
【人を対象とする研究】