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医の倫理の基礎知識 2018年版
【医師と患者】B-2.インフォームド・コンセントの誕生と成長

町野 朔(上智大学名誉教授・同大生命倫理研究所客員研究員)


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 医の倫理というと、西洋では古代ギリシャの医聖・ヒポクラテスが入門者に誓わせたという誓いが有名である。ヒポクラテスの医療についての考えは、「医療については専門家である医師に任せる」のが患者のためであるとし、任された医師は身を正し、愛情を持って患者の治療に努めることを強調した。

 わが国でも、「医は仁術」とされ、医師の慈愛の気持ちが強調されてきた。この考えは、「医療の倫理」として2000年以上にわたり容認されてきた。

 ところで、20世紀になると、医学・医療が進歩し、患者の期待が高まり、また、医師は検査データを重視するあまり、患者の病気をみて病人として対応してくれないといった批判も起こり、さらに欧米を中心に個人主義に基づく民主主義社会が発展し、患者の権利主張が強くなり、医療については患者自身が決定すべきであるという考えが強くなって、また、医療訴訟も増加してきた。

 そこで、これまでの「お任せの医療」から患者の自己決定権の尊重へ、そしてそのために医師は患者に十分な説明をすべきであるということになってきた。この考えは、インフォームド・コンセント(informed consent;IC)と呼ばれ、医の倫理、あるいは法理として広く世界に広がり、今日では誰もが口にするようになった。

 これは、20世紀における医の倫理、あるいは医師、患者関係をめぐる法理の大改革であり、この考えが成立した過程やその問題点について、理解しておくことが肝要である。

1.患者の同意と医師の説明義務~法理としてのインフォームド・コンセント~

 インフォームド・コンセントは、患者の「自己決定権」(right to self-determination)の存在を前提として、医療過誤が証明できないときに医師の民事責任を追及するためにアメリカで誕生した法理論であり1)、それ自体はささやかなものであった。ささやかというのは、実際には、アメリカではインフォームド・コンセントが十分でないことだけで裁判で勝訴することはできなかったからである2)

 医療行為が適切に行われたとしても、あるいは不適切であったことの証明ができなかったときにも、有効な同意がなかったときには、医師は責任を負わなければならない。「成人で健常な精神を持つ人間は自分の身体に行われることを決定する権利を持つ」から、患者の同意のない手術は身体傷害という不法行為である[シュレンドフ事件判決(1914年)]。さらに、同意を得るためには医師は患者に十分な説明をするべきであるという理論(IC)が登場する[サルゴ事件判決(1957年)]。すなわち、「患者は治療について説明を受け、それを理解したうえで同意を与えなければならない。その基盤を形成するのに必要な事実を知らせなかった医師は民事責任を負う」と、アメリカの多くの医師は考えるようになったが、実際には、民事責任を負うケースは稀であった。総じて、アメリカにおいて、インフォームド・コンセントは医療倫理として確立したのであり、医師たちが法的責任のおそれがあると考えたのは、過剰反応だったともいえよう。

 ドイツにおいては、これと同様の機能を持つ法原理として「医師の説明義務」(ärztliche Aufklärungspflicht)があり、その誕生はアメリカのICより早い。しかもこれは、医師の刑事責任も追及しうるという厳しいものでもあった。同意のない治療行為は傷害罪として処罰されるという19世紀末の帝国裁判所(Reichsgericht)の判例があり、さらに1950年代には、患者の有効な同意を得るためには医師はそれについて説明をしなければならないという理論が確立し、説明義務違反である「専断的治療行為」を処罰する刑法改正案も作られていた3)

 1965年、民法学者・唄孝一はこのドイツの理論を日本に紹介した。唄の態度は、医師の説明と患者の承諾は医師・患者関係の根底にあるものとして重視すべきであるが、医師の説明義務違反に法的な責任を認めるべきかについては慎重であるべきだというものであった4)

 だが、日本の裁判所は、行われる医療行為についての説明がなかった場合[乳腺症事件東京地裁判決(1971年)、札幌ロボトミー事件札幌地裁判決(1978年)など]、医療行為の危険性について説明がなかった場合[僧帽弁置換手術京都地裁判決(1976年)など]についての医師の民事責任を認めるようになった。しかし、ドイツのように刑事責任を認めた例は、まだない。

 その後、日本では「インフォームド・コンセント」の理論がよく知られるところとなり、ICという略語も定着するようになった。現在は、説明義務とICとは区別されることなく用いられている。

2.わが国におけるインフォームド・コンセントの受容~日本医師会生命倫理懇談会報告と医療法改正~

 医療におけるICの尊重については、アメリカでは1960年後半には医師たちにも広く容認されていたといえるが、わが国では、1980年後半になって、この考えが強調されるようになり、以後急速に広まった。

 1990年、日本医師会・第Ⅱ次生命倫理懇談会の報告は、欧米の個人主義文化を背景とするICを、そのまま文化が異なる日本社会に導入すべきではなく、医師と患者がお互いを尊重しつつ協力して医療を進めるという理念として理解し、訳語も「説明と同意」とした5~7)。25年の時を超えて、ここには唄孝一の説明義務の主張と通じるものがある。

 しかしすでにそのころ、患者の自己決定権、ICを基軸とした患者の権利運動が高まっていた8)。1992年の医療法改正に際しては、参議院は、政府は「インフォームド・コンセントの在り方については、その手法、手続き等について問題の所在を明らかにしつつ、多面的な検討を加えること」という附帯決議を行った。これを受けて、政府(旧厚生省)は「検討会」を設置した。その報告書は、おおむね次のようである9)

①ICに強いて訳語をあてるのは適切でない。

②ICは医療に制約を加える原理とすべきではない。日本においては、アメリカのように医師と患者とを対立関係にあるものと考えるべきではなく、ICも患者と医療者が共同してより良い医療環境を築くための理念として理解すべきである。

③ICの実践は推進されるべきではあり、医師の説明義務違反に法的責任を認めた判例もあることは理解できる。しかし、これを法律の中に明文で規定することは、ICを画一化・形式化し、医師の責任回避のための道具とし、医師・患者の信頼関係を破壊することにもなりかねない。

 このようにして、2007年の医療法改正において1条の4第2項が追加された。この条文は現在も変わっていない(表1)。

表1 医療法1条の4

2 医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない。

 かつては、この条文はICを法制化したものだという理解がかなり一般的であった。しかし、これは上記の検討会報告書を受けて作られたものであり、医師の説明と患者の「理解」だけを言い、患者の「同意」については言及していないのであるから、ICそのものでないことは明らかである。

 精神保健福祉法(41条)に基づく厚生労働大臣の指針(2013年。いわゆる「良質指針」)は、「インフォームドコンセント」は精神医療においても基本とならなければならないとしているが、これを「医師等が医療を提供するに当たり適切な説明を行い、患者が理解し同意することをいう」と正しく定義している。

 インフォームド・コンセントは、医療における患者の主体性を認める重要な考え方であることは明らかであり、日本の医療者にとっても思想の転換を迫るものであった。しかし、医療の提供は医師などの専門家によるのであり、その際に、十分な説明とそれを踏まえた同意を得ようということである。患者には、それに対する同意権(逆にいえば拒否権)が認められるものの、患者が医療の内容を決定し、それに医療者が従うという意味ではない。

3.医学研究における倫理としてのインフォームド・コンセント~ヘルシンキ宣言~

 ICは医療を受ける患者の権利に関するものであったが、臨床研究における被験者の権利を保護するための原理にもなっていく。医学の進歩のためには臨床研究が不可欠である。だが、これは被験者の権利を不当に侵害するものであってはならないのである。

 1964年、世界医師会(WMA)はヘルシンキでの総会で、人体実験(臨床研究)について、被験者の人権を守るための倫理指針(いわゆるヘルシンキ宣言)を採択し、この宣言は以後、世界各国で広く承認されることになった。このヘルシンキ宣言(2000年エディンバラ改訂後は、正式名称が「ヘルシンキ宣言 人を対象とする医学研究の倫理的原則」となっている)は、そもそも第二次世界大戦中のナチスの人体実験の違法性を糾弾したニュルンベルグ綱領(1947年)の影響を受けたものであり、1975年東京改訂から、被験者の同意をinformed consentと表現するようになった10,11)。さらに、2000年のエディンバラ改訂は、医学研究(medical research)を治療的要素を含むか否かで区別しないこととした。これによって、ICは、対象者へのインフォメーションの内容に相違はあるが、臨床研究と非臨床研究にも適用されるものになったのである。

 エディンバラ改訂は、さらに、「被験者を対象とする医学研究には、個人を特定することができる人試料・データの研究を含む」として、個人情報の保護をも宣言の対象としたが、その取得・使用等をICの内容とはしなかった。その後、2008年ソウル改訂は、このような人試料・データを用いる医学研究は、「その収集・分析・保管・再使用」について医師は「同意」を得るべきだとし、2013年フォルタレザ改訂は「バイオバンク」を保管場所として明示した。

 その後、WMAは「ヘルスデータベースとバイオバンクの倫理的配慮に関する台北宣言」2016年改訂12)を作成し、データの集積と利用をカバーすることとした。このような、「個人の医療を超えて用いられる」被験者の生物学的情報のICについても、ヘルシンキ宣言の趣旨に従うべきだとしつつも、被験者の個人データ・生物学的試料の使用についての被験者のコントロール権が基本であるとした。

 要するに、WMAは、個人情報の保護のためのICについては、被験者の健康に対するリスクを伴う医学研究についてのものと区別されたものだとしたのである。

4.わが国における研究倫理指針と個人情報の保護

 日本は、医科学研究の規制を、法律によってではなく、行政的な倫理指針によって行ってきたが、2001年の「ゲノム指針」13)以来、個人情報の取得、使用をICの内容としてきた。これが、2000年エディンバラ改訂後のヘルシンキ宣言に影響を受けたものかは明らかではない。さらに倫理指針においては、個人情報と個人情報を含むヒト由来試料とが同一視された結果、ICは個人情報のコントロール権の保護以上の役割を負わされることとなった。

 その結果、2014年に、「疫学研究指針」14)と「臨床研究指針」15)を統合した「人対象研究指針」16)の「インフォームド・コンセント」は、説明すべきものとして21項目を挙げ、しかもそれは「原則」としてだとしている。このような「指針」は研究現場に混乱をもたらすものであろう(本シリーズ別稿:一家綱邦「臨床研究の倫理」参照)。

 ICを個人のオートノミーを包括的に保護するものとしてしまったところに、指針の問題性がある。個人の自律性は身体、情報、趣味、生活など多種・多様な対象に関わるものであり、それぞれについての尊重のあり方も異なってしかるべきである。たとえば、乳がん治療のための乳房切除手術についての患者のIC、それによって摘出された組織の研究利用に関するIC、そこからの個人情報の取得・使用についてのICは、それぞれ異なる。また、同意能力、必要とされる説明の詳細さ、承諾としては同意意思の表示(opt-in)が必要か、反対意思の不表示(opt-out)で足りるとすべき場合があるかなど、すべて同じと考えることはできない。

5.インフォームド・コンセントの問題点と将来

 ICは医療倫理の原則であり、例外もあるし、また医師の専門的説明を患者は完全に理解できないのではないかといった問題もあり、さらにICがあるとはいえ、どんな医療行為も容認できるとはいえないといった問題もある。過度の法律化に対する警戒心もあり、患者のICは医療法の条文には書かれなかったが、身体不可侵の権利としては、日本ではすでに確立した法的権利となっている。日本伝統の法的謙抑性の下、ICの侵害は、現在のところ民事的制裁(損害賠償請求)、しかも限定された範囲での制裁に止められている。これがそのままに止められるべきか、さらには、ある場合には傷害罪としての処罰も考えるべきかなど、なお検討すべきである。

 身体不可侵性の権利としてのICから派生したICについては、それぞれの意義を踏まえたうえで、その射程(効力の及ぶ範囲)を確定しなければならない。これは、特に最近、臨床研究の分野でこのようなICを要求する法律[再生医療安全性確保法(2013年)、臨床研究法(2017年)]が成立したことによって、重要性を増しているように思われる。

 たとえば、個人情報の取得・使用に関するICは、個人の情報コントロール権と医療情報の公共性の下での微妙な調整が図られなければならない。また、利益相反状況(conflict of interest)に関しても対象者のICが必要とされているのは、研究がどのような経済的援助を得ているかを対象者に開示することにより、その研究参加の自由を保障するためである。

文献

1)President's Commission for the Study of Ethical Problems in Medicine and Biomedical and Behavioral Research, Making Health Care Decisions Vol. 1: Report (1982)
2)樋口範雄:アメリカ不法行為法(第2版).医療過誤の章,弘文堂,2014.
3)町野朔:患者の自己決定権と法.東京大学出版会,東京1986.
4)唄孝一:治療行為における患者の承諾と医師の説明.医事法学への歩み,岩波書店,東京,1970.
5)日本医師会第Ⅱ次生命倫理懇談会:「説明と同意」についての報告.1990.平成2年1月9日.
6)森岡泰彦:インフォームド・コンセント.日本放送出版協会,東京,1994.
7)森岡泰彦:インフォームド・コンセント.日医雑誌 2006;135:1511-1514.
8)一家綱邦:医療基本法の現在地.医療基本法会議編.医療基本法―患者の権利を見据えた医療制度へ.エイデル研究所,東京,2017.
9)厚生省:インフォームド・コンセントの在り方に関する検討会報告書―元気の出るインフォームド・コンセントを目指して.平成7年6月.厚生省健康制作局総務課監修・柳田邦男編集:元気が出るインフォームド・コンセント.中央法規出版,東京,1996に再録.
10)坂上正道:ヘルシンキ宣言の修正について―2000年エディンバラの第52回世界医師会における修正.日本医事新報 2000;№3994:57-59.
11)畔柳達雄:ヘルシンキ宣言の歴史―過去及び現在.臨床薬理 2012;43:245-246.
12)WMA Declaration of Taipei on Ethical Considerations Regarding Health Databases and Biobanks, revised by the 67th WMA General Assembly, Taipei, Taiwan, October 2016.
https://www.wma.net/policies-post/wma-declaration-of-taipei-on-ethical-considerations-regarding-health-databases-and-biobanks/
13)文部科学省、厚生労働省、経済産業省:ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針.平成13年(平成29年最終改正).
14)文部科学省、厚生労働省:疫学研究に関する倫理指針.平成14年.
15)厚生労働省:臨床研究に関する倫理指針.平成15年.
16)文部科学省、厚生労働省:人を対象とする医学系研究に関する倫理指針.平成26年(平成29年最終改正).

(平成30年8月31日掲載)

(令和元年10月23日一部修正)

目次

【医師の基本的責務】

【医師と患者】

【終末期医療】

【生殖医療】

【遺伝子をめぐる課題】

【医師とその他の医療関係者】

【医師と社会】

【人を対象とする研究】

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